コロナについて思ったこと

美しいということは大事なことなのだ


 私たち人類には「醜悪」と「美」を判断する特殊な能力がある。
 人類以外のどの生物も持ちえない高度な感覚だから特殊である、私はそう思う。

 ご近所の奥さんがせっせとマスクを作っている。もうどこにもマスクは売っていないから自分で作ることにしたのだそうだ。自分の分、ご主人の分、娘さんの分、お孫さんの分。内側にアルコールを吹きかけたガーゼをいれるポケットもつけた。
「そうしたら作っている内に楽しくなっちゃって」
 と奥さんは照れたように笑った。
 いいな、と思った。とてもゆとりのある美しい生き方だ。
 マスクが手に入らないなら工夫をすればいい。
 

 一生懸命、考えて私は小さな充電式加湿器を買った。アマゾンのタイムセールで九九九円だ! ラッキー! 転売マスクを買うよりずっといい。その加湿器の中に水で希釈した次亜塩素酸水を入れ、バッグのポケットに忍ばせて電車に乗った。大きさはペットボトルほどだからかさばらないし、ハンディタイプだから水漏れしない。
 電車に乗って早速スイッチをオンにした。白い蒸気がしゅうしゅう噴出してくる。かすかに漂う塩素臭。この蒸気のふりまくところ、ウィルスは死滅しているはずだ。
 そうだ。私はこのアイデアを電車に乗る多くの人に見てもらいたかったのだ。
 マスクが手に入らなくても自衛の方法はあるよ、と気づいてもらいたかった。
 立ち昇る蒸気に乗客の視線が集まった。一瞬、たまらなく恥ずかしくなってやめようかとも思ったが大事なことなのだ、と自らに言い聞かせた。
誰かに尋ねて欲しかった。
「それ、なんですか?」
 そうしたら私はご近所の奥さんのような照れ笑いを浮かべて、でも待ってましたとばかりに答えたに違いない。
「この蒸気はあたりを除菌してくれるんです。こんなやり方もあるんです」

武漢から帰って来た人の乗ったマイクロバスに蹴りを入れた。
スーパーでお寿司を売っているだけの地元の中国人を「ウイルスをばらまくな」と恫喝した。
中国人経営の日本食レストランに「コロナ消え失せろ」と落書きした。
武漢からの帰国者を受け入れてくれたホテル三日月の従業員の家族をいじめた。
コロナウィルスに対応した医療従事者をいじめた。

私はこうした行動を「醜悪」と思う。

負の連鎖が広まるのは早い。トイレットペーパーがなくなる、というデマ情報があっという間に広がったように。
今や、あらゆる予期不安が広がっていこうとしている。普段なら笑い飛ばすような情報も、心の奥底に不安がある時はひっかかってしまう。広がれば広がるほど新たな不安を掻き立て、そこに別のデマが加わればパニックになるのも時間の問題だ。

テレビのニュースで「明日から休校が続きますがどうしますか?」と親子連れに聞いていた。少年が「お父さんと散歩に行く」と答えて父親を見上げると、マイクを向けられたお父さんは「家にいます」と答えていた。それを聞いた少年は驚いた。
「え? なんで? 散歩に行くって言ったじゃん。散歩に行くでしょ? 散歩に行こうよ!」
あの親子はどんな休日をおくるだろうか。
お父さん、散歩に行ってあげてください。散歩に行って青い早春の空を見上げ、鳥の声を聴き、塀の上でくつろぐ猫を眺めてください。人気のない公園でキャッチボールをするもよし、サッカーボールを蹴るもよし、大きく深呼吸しても肺炎にかかることはないはずです。
そうすればいつの日か少年は思い出すかもしれない。
「コロナウィルスで学校が休みになった時に父さんと散歩したこと、すごくいい思い出なんだよな」

 健康に暮らすということは美しいことだと思う。日が昇れば起き出す。適度に運動をして心肺を鍛える。腹八分食べる。清潔にする。夜更かしせずに寝る。地球という星の巡りに合わせて行動するのは正しく、美しいのだ。

いやいや、これは私自身に向かって言っています。

さてこんなことをウェブラジオで私はしゃべりました。
カミカミですが、よかったら聴いてみてください。

ちなみに私はこっぱずかしくてとてもじゃないが見られません!

youtu.be


収録したのは前述の加湿器をたきながら電車に乗った日です。
そうして情けないことに帰りに立ち寄った居酒屋で加湿器を忘れてきたのでした。
トホホ……。

 同時にこちらの本もよろしくお願いします。