よりぬきプーデルさん

二〇〇九年 八月二九日のブログより

 「この感覚わかりますか?」

旅の最後の晩は切ない。一体、私は何度こんな夜を送って来ただろう。小学校の時行った江ノ島の臨海学校、中学の夏休みに母と過ごした唐津、友達とツアーで行ったパリ、新婚旅行先のトルコ。相手や行き先は違っても、旅の最後の晩に天井を見ながら感じる事は同じだ。
旅の出来事、すべてが現実味を失って、遠い昔に見た夢のように思えてくる。つい二・三時間前のことですら、古いフィルムを見ているように思えてくるのだ。
オババのいびきが静かな部屋に響く。唐津の晩は波の音だった。パリの最後の晩はクラクション。異国の言葉の怒鳴り声の時もあった。ベッドの中で暗い天井を眺めながらそんな雑音を聞いていると、意識はどんどん時をさかのぼり、やがてもう二度とこの瞬間は戻って来ないという事実にたどり着く。いつの間にやら人生のほとんどが過ぎてしまっている…。
翌朝になれば忘れてしまうんだけどね。
だから忘れないよう書いてみた。こんな夜も私の一部です。
では、おやすみ。

二〇二〇年 二月二三日 現在

  プーデルの思い出話

母と娘と行った箱根旅行の最終日に記したブログだ。寝床の中で携帯(スマホじゃなかった)で入力した。
このブログのことは時々思い出して、するとすごくこっぱずかしくなる。一人雰囲気に浸ってなんだかイタイ。だけど同時に懐かしいような切ない気分もこみ上げてきて、だからもう一度載せてみました。

母は旅行に行きたいと言うとあからさまに不機嫌になる。何かを得る、という目的がない旅行は贅沢だ、という発想だからだ。外国に行くならそこで外国語をマスターして帰らなくてはいけない。6泊8日の旅で現地の言葉なんか喋れるようにはならないよ、と私は言いたい。
「なんにも考えずに温泉に浸かるだけの旅だってあるよ」
 と抗議するが「そんなことしたって意味がない」とにべもない。
「何のために温泉になんか浸からなくてはならない!」
 そう言われると答えに窮する。古傷を癒すサムライじゃあるまいし。お猿だってつかってるじゃんかよう!
 だから旅先での最後の晩は「この夜が明けるとすべてが終わる。またしばらくは旅行ができなくなるな」と寂しくなる。楽しかったここ数日が走馬灯になって脳裏を走る。
 まるで人生が終わる気分だ。
 そういえば人生が終わる時はどんな猛者も強烈な寂寥感に襲われるそうである。知り合いの霊能者が教えてくれた。
 私はにとって旅はまさに人生なのだった。