よりぬきプーデルさん

二〇〇九年 八月三一日のブログより

       「フリチン少年の思い出」

昨日、箱根より帰って参りました!
帰りはいつも湯本駅前のお蕎麦屋さんでおそばをいただく。
大正ロマンを彷彿とさせる落着いた雰囲気のお店で、旅の最後の休憩をとるのにちょうどいい。
何より私は窓からの眺めが好きだ。川を隔てた富士屋ホテルのベランダが西日を浴びてずらりと並んでいる。
 二年前の夏のことだ。
オババと二人でぼんやり川向こうを眺めていると、ベランダの一つにすっぱだかの男の子がいきなり飛び出してきた。小学校三年生ぐらいだと思う。遠目にも短い髪が濡れているのがわかったから、プールで一泳ぎしてきたか、温泉に入ってきたか、とにかく彼はフリチンの大の字で金色の日差しに向かって仁王立ちになっていた。
「あれ、見てみ」
と私たちは笑った。
素っ裸がおかしいんじゃない。彼のはちきれそうなしあわせが伝わってきたから笑った。
「今が幸せの絶頂なんだねぇ」
もう夏も盛りを過ぎた頃のことだ。ひぐらしが鳴いていたように思う。
あの子はどうしているかな? 元気かな?
風呂上りにベランダに飛び出していったことなど、とうてい覚えちゃいないだろうな。
でも、私は忘れてないぞ。
幸せでパッツンパッツンだったフリチン少年の事を。
だから、私は蕎麦屋に行くたびに西日に並ぶ窓を眺める。
この窓の向こうに何人くらい幸せにはちきれている人がいるだろう、と想像したりする。
もう、夏休みも終わってしまいますね。

二〇二〇年 二月二四日現在

       プーデルの思い出話

前回紹介した「この感覚わかりますか?」の翌日のブログだ。
いまだに全裸の大の字で西日に向かう少年の姿が瞼に残っている。彼は金色に輝いていた。
あの時、十歳だったとしたら彼はもう二十一歳だ! 
ああ、光陰矢の如し!
 もう西日に向かって全裸の大の字はできないね。やったら逮捕である。

 彼は覚えているだろうか? 十一年前のこの日を。いや、まず覚えていないだろう。同時にどこの誰ともわからんおばはんが覚えていることを知ったら気味悪く思うに違いない。

 どうでもいいことに限って記憶に残っている。
 例えば三十年以上昔の羽田空港の喫茶店のボーイさんなんかを覚えている。
 母と二人、飛行機の出発時間まで喫茶店でお茶をしていた時のことだ。ボーイさんが隣のテーブルにアイスコーヒー二つととアイスティー二つ、それとクリームソーダを運んできた。
 隣のテーブルは中年のご婦人ばかりの五人組で、その五人全員が背の高いグラスの飲み物を頼んだのだった。
 ボーイさんはステンレスのお盆にぐらつくグラスを五つ乗せてソロソロとやって来た。歩くたびにお盆の上でガラスの器がカタカタ鳴った。
 唐突に私は笑いたくなった。
 彼の唇が尖っていたからだ。真剣になると唇は尖るのだと知った。
 真剣な人を笑うのはイケナイことだから口元をぬぐうふりをしながら母を見たら母も笑っていた。笑うのをこらえている時に、笑うのをこらえている人を見るとさらに笑いたくなるものだ。
「大丈夫?」
 隣のテーブルのご婦人が笑いながら聞いた。
見れば居合わせた全員が微笑みながら彼を見つめていた。
 ちょっと小太りで、ニキビ跡の残るリーゼントのボーイさんであった。

 まったくもってどーでもいい記憶だ。私はこんなことばかり覚えている。なのに自分の携帯の番号を覚えるのは4年もかかっている。