始まりがあれば終わりがある

「始まりがあれば終わりがあるんだよ」
という言葉は私がお産の陣痛で「うーんうーん」と苦しんでいる時に母がかけてくれた励ましの言葉だ。
(確かにそうだ)
と痛みの中で納得した。
どんな辛いこともずっと続くわけではない。必ず終わりは来る。
人類は歴史の中で何度も先の見えない不安に怯え、しかし乗り越えて今日まで来ているのだ。
スペイン風邪天然痘、ペスト、病気だけじゃなく戦争もあったし、大飢饉もあった。それでも人類は乗り越えていく。乗り越えて乗り越えていつの間にやら70億人に増えているのだから私たちは自分で思っている以上に粘り強いのだ。同時に頑健でもある。その上、多くの苦難を教訓として学んでいく賢さもある。
ただ心が揺らぎやすい。それが人間の弱点かもしれない。揺らいで落ち込んでしまうと誰かをいたぶって憂さ晴らしをしたり、いいかげんな文言に踊らされたりする。
そういえば最近、ある人からこんな話を聞いた。
「コロナのおかげで空気がきれいになっているからコロナに感謝しよう」
とか
「コロナ君を愛してあげましょう」
とか言う宗教家が現れたそうだ。結構な支持者もいるらしい。
なんだか世紀末を描いたマンガに出てきそうなセリフだ。
そういえばスティーブン・キングの中編小説「霧」にそんな人物が出てきた。「霧」は映画化もされているが、欝な終わり方をする映画ベスト10の1位、2位を争うような内容なのであまりオススメしない。原作の方がまだ希望がある。とにかくその作品の中に描かれている状況が私の目には今と重なって見えてくるのだ。
記憶を頼りにあらましを書くと、米軍が演習で四次元空間に穴をあけてしまう。その穴の中から次々と凶悪なモンスターが出てきて人間を捕食するのだ。主人公はちょうどその時幼い子供を連れてスーパーマーケットに買い物に来ていて、そのまま他の客と一緒に店内に閉じ込められてしまう。見知らぬ客同士力を合わせて立ち向かおうとするが、一人、また一人とモンスターどもの餌食となっていく。やがて一歩も外に出られない閉鎖的な環境の中で一人の人物が「これは神のご意思よ! 誰かを生贄として神にささげるのよ」と言い出す(もしかしたら若干の記憶違いはあるかもしれない。遠い昔に読んだのでセリフの間違い等はお許しください)のだ。平常時なら狂信的と笑ってすます彼女の言葉も極限状態では人々の心の隙に入り込む。次第に店内の人々は彼女の言葉に同調していく。
もっとも前述の宗教家にそんなエキセントリックなところはない。文言にあるのは「感謝」や「愛」という美しい言葉だ。けれど「愛の説法」にしてはあまりにもトンチンカンに聞こえる。今の状況にそぐわない、エゴイスティックな発想と思う。
こうしている今も何十万もの人が苦しんでいるのだ。宗教家ならその不安や苦しみ、かけがえのない人を失った心の痛みに寄り添うべきなのではないか?
大体がコロナが空気をきれいにしているんじゃなくて、外出を控えざるを得ない結果二酸化炭素の排出量が減っただけなのだ。人間が自分の意志をもって空気をきれいにしているのとはワケが違う。根本的な取り違えがある。
確かにコロナから学ぶこともあるだろう。
学んだ結果、次の世代に繋いでいく知恵も生まれるかもしれない。
けれどもそれは後回し。人々の心の傷が癒えてからだ。

最近、霊能者の尚さんが毎日のようにツイートし、ブログを書いている。
彼女なりに人々の不安を和らげる方法を考えているのだろう。

さて、一方の私は何をしているかというとずーーっとずっとずっと家にいるのだが、それなりに忙しくしている。
三月・四月は植物たちの「病害虫対策強化月間」なので薬を撒いたり肥料をやったりしなくてはならないのだ。姫リンゴの花を受粉させなくてはならないし、アイスプラントには塩水を飲ませてやらなくてはならない。ああ、忙し! そして楽し! 
緑は今やツヤツヤに光っている。バラのつぼみはぷんと膨れて今にも中から花がはじけて出てきそうだ。バラはつぼみの状態の今が私は一番好きだ。花が咲いたらいよいよ虫どもとの戦いが始まる。箸で毛虫を挟んで庭の植え込みめがけぶん投げたり、カメムシを遠くへ弾き飛ばしたり、ナメクジよけのコーヒーかすを撒いたりしなくてはならない。
家にいても何かしら仕事はあるから一日が立つのが早い。
いつもよりちょっと念入りに掃除する。買ったまま積んでるだけだった本を読み始める。写真をアルバムに貼って整理する。デザフェスで買った小物を飾る入れ物をデザインする。ホームページを作る。合間にラジオ体操をする。しかしお菓子なんかもつまむからカロリーはプラマイ0。
そうこうする内にあっという間に一日が終わってしまう。
東京は日本で一番感染者が多く、その中でも私の住んでいる世田谷区がトップだが、それでも私はけっこう穏やかに暮らしている。
家族一同、元気です!

と、ここでブログに関するお知らせを。
引っ越し先のはてなブログに関して読者になって下さった方から「新着ブログのお知らせが来ない」という連絡をいただいた。
私のつたないブログのためにわざわざ面倒な読者登録をしてくださったのだ。これは何とかしなくてはならん! 早速はてなの方に問い合わせたところ「こちらでは新着のお知らせはしておりませんので、その旨ご了承くださいますようお伝えください」と返って来た。
がっくりきた。当然、新着のお知らせは読者の皆様に行くものと思いこんでいたのだ。ところがそのシステムがあるのはアメブロだけらしい。
引っ越し前に確認しておくべきだった。
私のミスです。ごめんなさい。
というわけで考えた結果こうすることにしました。
新しいブログは今まで通りアメブロに書く。今までのブログの面白いものだけ「よりぬきプーデルさん」としてはてなの方に載せる、という方法だ。
同時に近々、HPも開きます。そこからはてなブログに飛ぶことができるのでぜひHPをご覧になってください。
HP、いろいろ趣向をこらしておりますよ! お楽しみに!
読者の方、本当に振り回してしまいましたね。
お許し下さいね!